今でこそ「シンプルなデザインで品質も良い合わせやすい服」のイメージがあり、老若男女、ファッションに興味ある人ない人、幅広い層に受け入れられているユニクロですが、私が小学生の頃は全国に店舗を拡大している段階で、ブランドの認知度を上げるためか今より「安さ」を売りにしていました。
私はその時のユニクロのおかげで中学生の頃からファッションに興味を持ち、周りの男子友達からは「30代の服装」だと笑われるような自分のスタイルを模索してきました。
社会人になった今でこそ、自分が価値を置くものが明確になり、自分で稼いだお金で少しずつ欲しいモノを集めていますが、ユニクロがなければこの人生を歩むこともなかったかもしれません。
初めて自分に服を選ばせてくれたユニクロ
小学生の頃は母親が買ってきた服を着ていました。育ちが田舎だったので、主に仕入れ先はしまむらだったと思います。
その後、都市部に引っ越して中学生活が始まりました。中学生は思春期真っ只中。当時の私は周りの友達から良く見られたいという欲求があったのかもしれません。
ユニクロに服を買いに来た母親に「中学生だし、自分で服を選ぶよ」と言い放ちました。
もちろん、ファッションのことは一ミリも分かりません。自分の直感で「これカッコいいな」と思ったものを手に取りました。母親と妹はその服を試着した私を見て「それはダサい」と苦笑いしていましたが、思春期の男子中学生がそんな言葉で折れるはずもなく、むしろ意地でも「これ買う」と母の反対を押し切り、人生初の「自分で選んで買った服」を手に入れました。
それがこれ。
赤チェックのフリース
どうです?カッコイイでしょ?笑
当時の私はこれがカッコイイと自信を持って買ったわけです。自分で選んだ服なのでお気に入りなんです。そりゃあ購入直後から出かける時は毎回着ていきますね。
ユニクロの成長は凄かった。
当時のユニクロの成長は本当に目を見張るものがありました。全国に店舗が進出しているし、「安さ」を売りに顧客を増やしていました。それを私は身をもって知らされます。
街中に溢れる同じ服を着た人たち
ファストファッションという言葉を認知させるくらい人気だったユニクロ。街に出れば半分以上の人が何かしらユニクロ製品を身にまとっていたかもしれません。
意気揚々と赤チェックのフリースを着て外出した私は、幼児から老人まで同じ色の同じ柄のフリースを着ている人を1日で6人も見つけました。
母妹:「見てみて!あの人も赤チェック!!」爆笑爆笑爆笑
目立つ色だし、あまりに街中に同じ服を着た人がいるので、母と妹が同じ服を着た人を探し、見つける度に私に報告してくるのです。
同情してくれると思いますが、思春期の男の子にこれ以上の恥はないです。ある意味、他の人が見ても気に入るデザインで、私のセンスは間違っていないということを示してくれているわけですが、そんなの関係ありません。思春期だからこそ人と同じ、被るのはイヤでした。
自分で選び、あんなに気に入って毎日着ようと思っていた服が、その後はタンスの奥にしまわれ、二度と家の外に出ていくことはありませんでした。※ 保温性は素晴らしく、次の年以降は冬の部屋着として使いました。
ファッションの世界を知る
今考えるとあり得ないかぶり率ですよね。それくらい当時のユニクロは波に乗っていました。このユニクロの成長×思春期という奇跡的なタイミングが、私にファッションの世界を教えてくれました。
母と妹に爆笑された恥ずかしさから、ファッションのセンスを磨く修行を始めます。
雑誌を読み漁り、コーディネートをたくさん見て真似する
当時はインスタグラムなんてものはありません。インターネットはありましたが、まだまだファッションの主流情報源は雑誌でした。
毎月本屋に通い、男性ファッション誌コーナーの雑誌を読みあさりました。ブランドも用語も何も知りませんでしたが、とにかく雑誌に載っているコーディネートを見て真似することから始めました。
ファッション入門雑誌:smart
中学1年生の私がまず手にした雑誌は、自称メンズファッション誌No.1の「smart」。若い年代向けの男性ファッション誌で、安いし、何より「付録」が付いているのがポイント。
コーディネート例も高校生〜大学生といった感じで若い。載っているブランドも比較的手に入れやすい価格帯。中学1年生の時はとてもお世話になりました。基本的には立ち読みでしたが、2部くらい付録が欲しくて買った思い出。今でも何の付録だったか覚えていて、ビームスのグルーミングセットとPORTERのナイロンバッグでした。
中学2年生になり、当たり触りのない「典型的ファッション」を修得した私は、「このコーディネート良いな」「これは格好悪い」と好みが出てきました。ユニクロの経験から被ることを極端に嫌っていた私は、「smart」には大変お世話になったのですが、周りとは違うもっと大人のファッションが知りたいと思うようになりました。
20代後半〜30代向けファッション誌が好きなこじらせ中学生
大人のファッションが知りたくなった私は、smartだけでなく、横に並んでいた「MEN’S CLUB」「UOMO」「2nd」「OCEANS」「POPEYE」に手を伸ばし、立ち読むようになりました。
これらの雑誌が当時の私にはドンピシャでした。それ以降は大学生になるまで毎月のようにチェックしていました。昔ほど熱心にではないですが、今も楽天マガジンでパラパラ読んでいます。
セレクトショップの進出。ファッションの時代に恵まれた思春期
20代後半〜30代向けの雑誌となると、価格帯が上がるので良いモノが載っています。中学生がそうそう手にできるものではありません。それまでは、Right-onや無印良品、時々ユニクロという感じで服を揃えていました。服のブランドもちょっと分かるようになった私は、今度は服を買うお店を変えることにしました。
ZOZOTOWNやメルカリがネットでアパレル産業を成長させたように、当時はセレクトショップの進出がトレンドでした。私の住んでいた都道府県にもユナイテッドアローズやビームスといったセレクトショップが進出し、都市部にはアウトレットモールが登場してきました。
そうです。とうとう昔は身近になかった海外ブランドが私の手の届く範囲に現れたのです。
それ以降はアウトレットモールに年に2回行くことが家族行事になりました。セレクトショップといえど、さすがに正規店では中学生の私も手が出しにくく、もっぱらアウトレットで気に入った服を揃えていました。生意気にもTAKEO KIKUCHI、BEAMS、EDIFICE、NEWYORKER、Mitsumine、Brooks Brothersがお気に入りでした。今でもNEWYORKER、Mitsumine、Brooks Brothersの服は大事に使っています。
小学生の頃から大好きだったゲームは中3で卒業し、高校生になってからはプレゼントは服や小物、ガジェットをねだっていました。高2の冬に両親に買ってもらったNEWYORKERの元値7万、アウトレット価格4万のロング丈のPコートは今でも宝物です。
大学生でファッションのこだわりを確立
大学生になると、「men’s FUDGE」「CLUEL homme」をよく読むようになり、イギリスに憧れていたことから、イギリスブランドはもちろん、フランス、北欧、イタリアなどヨーロッパのブランドがお気に入りに。大学1年〜2年はお気に入りのブランドを見つける、コーディネートを勉強する、自分のスタイルを確立する、といったことに夢中で、お金もそんなになかったので、結局アウトレットで今までと同じ服でコーディネートだけバリエーションを増やしていました。
そして「mens precious」「THE RAKE」「MEN’S EX」といった30代後半〜40代以上向けの一流ブランドを扱う雑誌まで読むようになり、日本のブランドを含めて、服の生産工程、歴史、質にこだわるようになりました。
被る、目立つ、は相変わらず避けがちで、「価格と質が見合っていないハイブランドは嫌い」「クラシック」「シンプル」「価格に見合った高い質」「ブランドの歴史」「生産背景」「良いモノを長く着る」といった自分なりのファッションのこだわりと軸を確立させ、今に至ります。
ユニクロの成長が私にファッションの世界を教えてくれた
この経験が無くても、大学生になれば周りからの目や承認欲求を刺激するSNSもあり、それなりにファッションには興味を持ったと思います。しかし、今ほどのこだわりは持っていないかもしれません。(それはそれでお金を別のところに使えて良い人生だとは思いますが笑)
私が高校、大学と成長するにつれてファッション、カメラ(写真)、珈琲、インテリア、小物、映画、料理とこだわりとも言える趣味を増やしていったのも、この経験がきっかけかもしれません。
自分のこだわり、スタイルを確立するまでには時間がかかります。何も知らない状態から、少しずつ段階を経て、自分の「好き」を確立する流れを体験させてくれたのは、間違いなくユニクロのおかげです。ユニクロの成長が私を成長させてくれました。(ユニクロに人事として転職することがあればこれ使おう…)
ユニクロも今や海外展開するグローバルブランドとして、フェデラーなど一流選手に寄り添うブランドとして、モノ消費からコト消費へ変化した社会に合わせて成長しています。
大量消費の時代のユニクロは私にファッションの世界を教えてくれました。次の時代のユニクロは消費者に何を見せてくれるのでしょう。
社会人になってからユニクロから遠ざかってしまったので、今度はファッションではなくビジネスの世界を教えてもらうためにファーストリテイリングの株を買ってみようかな。そう思い、最低購入金額を見たらファッションの世界より厳しい世界だったのでまた一から修行します。